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リトアニアリネンとの協働プロジェクトについて

 北欧フィンランドの対岸からポーランドにかけてバルト海沿岸に位置するバルト三国、その最も南にあたるリトアニア。岐阜県出身で、第二次世界大戦時の在リトアニア外交官であった杉原千畝の「命のビザ」の縁により、岐阜県とリトアニアは友好交流協定を結んでいます。
 

 それを背景に、私たち、 tomoniつながる和綿プロジェクトでは、岐阜県で育てた有機和綿の糸とリトアニアの伝統産業のひとつとして世界的に知られているリネン(亜麻)の糸を、縦糸・横糸として、まさに「ご縁を紡ぎ合う」という想いも重ねた製品づくりがしたいと考えました。

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杉原千畝氏

 そこで、リトアニア出身で現在、岐阜県の国際交流員であるジヴィレ ヨマンタイテ(Zivile Jomantaite)さんに依頼をし、オーガニックリネンの糸をリトアニアから輸入できないかと問い合わせたところ、リトアニアでは独立以来、農業政策の変化などにより自国で生産する農家が激減、製糸工場もなくなり、現在では自国原産の糸はほとんど出回っていないということが判明し、現在はフランス、ベラルーシ、中国などで育てた糸を輸入して製品化し、それらをリトアニアリネンとして流通させているという驚くべき事実を知りました。

 「リトアニアリネン」は、日本のファッション界でもしばしば取り上げられるなど、世界に誇る伝統産業であったはずなのに、そのリネンが自国で生産されていないという現状を知ったジヴィレ国際交流員にも大きな衝撃でしたが、それは同時に、日本の原種として長く栽培され使われてきたはずの和綿が、自国で生産されなくなった日本の現状とも似通っていると、私たちも衝撃を受けました。他ならぬtomoni和綿プロジェクトもまた、そのような現状をなんとかしたいという考えで企画されたものだったからです。

 そのような中、ジヴィレ国際交流員は、自国にも必ず、私たちtomoni和綿プロジェクトと心を同じくする、リトアニア原産のリネンを昔ながらのオーガニックな方法で栽培し、復活させようと活動している農家があるのではないかとリサーチをはじめました。そして彼女は、ロムアルダス・カミンスカス氏(Romualdas Kaminskas)を見つけ出してくれたのです。

 

 カミンスカス氏はリトアニアのカウナスから2時間半ほどの距離にあるパネムネーリス(Panemunėlis)という小さな町で、昔ながらのスタイルでオーガニックリネンを栽培しながら、リノ・ムーカ(Lino muka)というリネン祭りを毎年、開催し、街の博物館でリネンの啓蒙ワークショップやクラスなどを開催している、元リネン工場を経営していた方でした。

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 このカミンスカス氏の活動の話をシヴィレ国際交流員から聞いた私たちは、遠い地で、私たちtomoni和綿プロジェクトと、とても類似している志で活動をしている人々の存在に感銘を受け、まさに、和綿がつないだ新たな縁として、ともに何かをつくっていきたいと考えました。

 そしてその私たちの想いにリトアニアのカミンスカス氏も共鳴していただけ、まずは互いの糸の交流からはじめ、岐阜県の和綿と、リトアニアのリネンを紡いだ、懐かしくも新たなものづくりへの一歩をともに進めることとしたのです。

 自然環境を尊重しながら、自国で安心、安全なスタイルで生産し、消費する安心感。長い歴史の中で育まれ、受け継がれてきた遺伝子ひとつひとつがつないできた、生活文化として、自国原産の素材を安全な手法で育て、製品を作り、やがて土に還していくこと。
  大量生産・大量消費に変わっていく中で、人々の労働環境や心と体、そして自然環境への影響など、課題が表出している現代社会。
 世界規模の自然災害や感染リスクなどに見舞われた今だからこそ、もう一度、SDGsの考えにも則した持続可能な未来のために、私たちは新たな価値観や、小さくとも多幸感のある地域資源を生かした産業のあり方を、遠く離れたリトアニアのみなさんともに見出していきたいと考えています。

 杉原千畝の「人道の精神」をはじまりとして、またひとつ、地域の暮らしの中で息づく伝統産業の見直しとしての「ものづくり」を通じた新たなプロジェクトがこうしてはじまりました。


tomoniつながる和綿プロジェクト 統括ディレクター 古田菜穂子

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